まだまだ静岡県にあった「富士川町(現富士市)」と勘違いされることがあり、「もっともっと山梨県の富士川町をPRしていかないとダメだなぁ」と・・・
今日は、そんな山梨県の富士川町(旧鰍沢町と旧増穂町)が関係する落語の話を
その名も落語『鰍沢』
落語「鰍沢」は(1861〜64年頃)伝説の落語家『三遊亭円朝』がまだ20代の頃、江戸の「三題ばなしの会」で発表したと伝えられています。
※「三題ばなし」とは ・・・ 客席から題(テーマ)を三つ与えられて、即興でストーリーを作って演ずる落語、その時のお題は「鉄砲」「卵酒」「毒消しの護符」、または「小室山の護符」「卵酒」「熊の膏薬(くまのこうやく)」とも言われてます。
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この落語「鰍沢」の噺の中では「旅人が身延参詣」をする設定になっており、旧鰍沢町と旧増穂町のお寺や地名などが登場します。
昌福寺
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小室山(妙法寺)
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法論石霊場(懸腰寺)
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釜が淵
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富士川
実際に落語どおりの順路で各場所を訪れてみました。
寿命山昌福寺 虫切加持で有名な寺院、小室山妙法寺住職「日伝」の弟「日全」が開山した。
本堂を左へ 昌福寺→小室山妙法寺まで小室道という古道を巡ります。
昌福寺南のT字路 写真中央に石の道しるべがあります。
「左 小室道」
妙見堂を左に見ながら、右折
小室道は今と違い自動車などがなかった時代の道なのでかなり狭いです。
小室道は途中で自動車が通れなくなるほど狭い箇所がいくつかあります。
増穂商業高校グラウンド東側を南へ
小室道橋を渡り
畔沢橋を渡りT字路を右へ
畔沢「くろさわ」の由来は日蓮上人が関係しているという言い伝えがあります。
右へ行くと「小室山妙法寺」 左へ行くと「法論石(懸腰寺)」
小室山妙法寺三門
アジサイ寺として有名な小室山妙法寺。(6月下旬〜7月上旬)
お題の一つ「小室山の護符」(500円で購入することができます)
再度、県道に戻り法論石霊場へ
道が狭いので土録の集会所に車を停めて法論石参道を歩きます。
懸腰寺入口

法論石 ⇒説明
下から覗いても、法論石の巨石ぶりは圧巻です
誰が書いたのか「東家 三遊亭 四代目 圓生」⇒落語「鰍沢」を得意演目にしていた。
※神社仏閣など歴史的遺産への落書きは絶対にしてはいけません。
懸腰寺の裏側を出て右に行くと鰍沢入町地区へ続く道があります。
※今現在、崩落箇所などあり車での通行はできません。
鰍沢入町地区
懸腰寺の裏側を出て左に行くと大法師公園に続く道があります。(途中分岐がいくつかあり迷いやすい道です)
大法師公園弓道場の脇につながってます
旅人が目指していた鰍沢の船着場「富士川舟運・鰍沢河岸跡」 現在は毎月第二・四日曜日に朝市を行ってます。(次回は2月12日です)
最後、旅人が富士川に転落する場所「釜が淵」※現蟹谷橋付近
実際にこの落語と同じ順序でそれぞれの場所を訪れてみると思うことがあります。
「この落語を東京の落語会で即興で創作し演じた」と言われていますが、想像で作ったにしては、出来すぎているように感じます。
[身延参り]の順序、各場所・場所の位置関係などまるで歩いたかのようにリアルです(特に法論石霊場⇒鰍沢方面に行く際の道がわかりづらく実際に道に迷いやすいなど)
落語は基本的に師匠から弟子などに口伝えで伝承していくものなので、時代に合わせいろいろとデフォルメして言い伝えられることが往々にしてあります、
三遊亭円朝以降の噺家が実際にこの地を訪れて、修正を重ねている可能性もあり、落語「鰍沢」の初演と現在ではだいぶ変化しているとは思います。
しかしながら基本路線の「行き先・順路」はほぼ変わっていない・・・
何を言いたいのかというと
もしかしたら三遊亭円朝は富士川町に来ていたんじゃないの? と
若き日の円朝は実際に身延参りをして富士川町内や峡南地域を自分の足で歩き取材していたのではないか?
だとしたらスゴイことだなぁ?と (スミマセン単なる妄想です)
まあ、東京では身延参りが当時は一般的な旅行であったということもあり、鰍沢は富士川水運の要衝地・甲州の南玄関と言われるほど栄えていたので、
山梨まで来なくても、東京までこの地域の情報が届いていたとしても不思議ではないですけど・・・
長々ダラダラと書き綴り、〆までもダラダラでスミマセン。m(_ _)m
ブログをはじめて半年たちました、町の観光に関係ない内容なども載せたことも多々ありましたが、ご覧いただきました皆様、半年間お付き合いいただきありがとうございました。
今年の観光物産協会のブログは一応今日までの掲載とさせていただきます。また、年明け1月4日からブログを再開いたします。皆様、良い年の瀬をお過ごしください。
by dom