2011年11月30日

氷室の郷ふれあいまつり

11月27日(日)平林のみさき耕舎において
「氷室の郷ふれあいまつり」が開催されました。
天気もよく、沢山の人で賑わいました。
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恒例の大根抜き取り体験では、参加者の方が力いっぱい汗を流しながら
大根の収穫を行いました。
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手作業でお餅を作っている様子です。たいへん粘りが強くおいしいお餅
でした。
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また、餅まき大会や模擬店コーナーなども催され、会場では笑い声が絶え
ることがなくたいへん大盛況でした。
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今年お祭りに行けなかった方は、ぜひ来年は会場に足を運んでいただいて、
氷室の郷ふれあいまつりならではの醍醐味を堪能していただければと思い
ます。

by jin
posted by 富士川町 at 14:15| Comment(0) | 日記

2011年11月29日

今日は何の日?

11月29日は1129『イイニク』⇒「いい肉の日」だそうです。
domは焼肉が大好きです。ロース・カルビ・タン・ホルモン・ハラミ・ハツ何でも食べますが、皆さんの好みはいかがですか?
この話題でブログをごまかそうと思いましたが、皆に怒られそうなのでヤメます。
なので焼肉つながりで・・・焼肉のルーツは韓国(諸説あるようですが)といわれることがありますが、今日は韓国の話題でいきます。

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先日、山梨県立美術館にて、特別展「浅川巧生誕120年記念 浅川伯教・巧兄弟の心と眼−朝鮮時代の美−」をみてきました。
浅川兄弟が選び抜いた陶磁器、木工品、伯教作の絵画など約200点が展示され、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心のなかに生きた日本人、ここに韓国の土となる」と韓国にある墓碑に刻まれた浅川巧の業績を紹介しています。 特別展は12月25日まで開催しています。

【浅川巧(1891〜1931年)】
山梨県北杜市高根町出身。
1914年に日本の植民地支配下にあった朝鮮に林業技師として渡り、朝鮮半島の風土にあった育苗法を開発するなど朝鮮の緑化に尽力しました。更に当時京城で小学校の教師をしていた兄の伯教と共に、朝鮮の陶磁器や木工品などの民芸の中に朝鮮民族文化の美を見いだし、日本に紹介したことで知られています。
浅川巧は、植民地支配下の厳しい時代にあって、現地の人々と分け隔てなく接し、朝鮮語を話し、朝鮮文化を愛し、周囲の人々に愛されながら、40歳の若さで愛する朝鮮の土となりました。本人の遺志により韓国式で埋葬され、その際、弔意を表するため墓所までその棺を担ごうとする朝鮮人が後を絶たなかったそうです。現在、巧の墓は韓国独立の義士たちが眠るソウル近郊の忘憂里(マンウリ)国立共同墓地の一角にあり、今でも韓国の方々に見守られ続けています。

2012年夏には浅川巧の生涯を描いた映画『道〜白磁の人』が公開されます。原作者は富士川町在住の作家・江宮隆之さんです。

dom
posted by 富士川町 at 11:42| Comment(0) | 日記

2011年11月28日

ウスタビガの繭(まゆ)


このブログでもつい先日まで紅葉が話題になっていました
が、ふと周辺を見渡すとすっかり葉が落ち、冬の装いに。

そんな時に林を歩いていると目に入ってくるのが、これ。

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ウスタビガという大型の蛾の繭。鮮やかなライム色です。

あ、今回は蛾の写真はありませんので、ご安心を。


7月初旬には繭になり、成虫が出てくるのが晩秋ですので
4ヶ月余りをこの中で過ごすことになりますが、この繭には
いくつかの快適装備があります。

繭の一番下に小さな穴が開いています。

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実は、繭上部には成虫が羽化する時の脱出口が既にあって、
ここから雨が吹き込むのはご愛嬌。底の小さな穴は、雨水
の逃がし口になっています。

それだけではありません。繭の断面を見ると逃がし口の上
にも何やら構造物が・・・。

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繭全体との位置関係です。

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蒸し器で例えると、ちょうど中簀(なかす)の役割を担って
いるのか、蛹が繭の底に触れて雨水の逃がし口を塞がない
よう下支えするようです。

その中簀を上から見たところ。「ヘチマたわし」のように
周囲に大小の穴が見えます。

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水は下に通しつつ、雨水の逃がし口から入る小さな虫など
は防ぐフィルターにもなっているようです。

by はろ


posted by 富士川町 at 10:34| Comment(2) | 動物